文部科学大臣を退任致しました。

昨年の10月4日に文部科学大臣に就任して以来311日、この間、大変お世話になりました。

心から厚くお礼申し上げます。

岸田総理から「文部科学大臣に就任してください」というお電話をいただき、「私でよろしいのですか?」と聞きました。「あなたでいいのです、あなたにお任せしたいんですよ」と話されました。あれから1年近く経ちました。

就任直後に、ガバナンス強化のための私立学校法改正問題に直面しました。また、並行してこども家庭庁設置について、「幼児教育」をめぐり激しい議論が行われました。年が明けたら共通テストの不正問題が起こりました。日大事件の処理や法案では「教員免許更新制の廃止と研修制度のあり方を定める法案」、「大学ファンド法案」、「博物館法案」の活発な審議も行われました。

また、総理が議長を務める「教育未来創造会議」では、高等教育におけるデジタル人材の育成、理系人材を世界のレベルまで押し上げること、とりわけ女子の理系農学系への進路選択を拡大させ、広い分野で女子が活躍する社会づくりを目指すこと、総合知を重視した文理融合の推進などが提言されました。

また、つい先だっても佐渡金山の世界遺産登録実現に向けて、その推薦書の中の構成資産の説明についてユネスコ事務局との見解が異なり、最終的には推薦書の暫定版の再提出をめざすことになりました。
こうした数多くの問題と向き合ってきたこの1年近い日々でした。

通常国会中は、150日間で1,084問という質問を受けました。おそらく厚生労働大臣に次ぐ多さではないかと思います。しかし、野党議員の先生方を中心に厳しい意見もありましたが、理解頂けるところは十分理解頂き、接点を見つける場面も多々ありました。私にとっては、この文部科学大臣という役職は人生にとってかけがえのない力となりました。
特に日本の力の源泉は「人材の育成」と「科学技術の振興」にあると確信しました。今後は、一議員となりましても、文部科学行政の推進に当たって微力を惜しまない覚悟です。

これまで大小様々な問題もありましたが、今日までやり抜いて来られたのは、お支えいただいた文部科学省の皆さんや、私の支援者のおかげであります。改めて感謝申し上げます。

私は常々、子どもは「国の宝」、教育は「国の礎」と話してまいりました。また、科学技術は、我が国経済の基盤となるものです。スポーツは子どもたちの人格形成を促し、国民の健康づくりに役立ちます。文化は言うまでもなく、国民の生活を豊かにし、それぞれの心に栄養を与えるものです。

私はこれまで他省庁の政策に多く関わってきましたが、文部科学大臣を経験し、まさに文部科学行政は、我が国の基であり、我が国の未来をつくると言う大きな使命を担うものであると確信いたしました。あらゆる社会経済活動は教育によって支えられているという事実を忘れてはなりません。

私自身、就任時に「見る力」を掲げて、文部科学行政に取り組ませていただきました。一カ所でも多くの現場に赴いて、子供たちの姿、教師の姿、研究者の姿を自らの目で見て、声を聞いて、政策の判断に活かすよう努めてきたつもりです。どんなに立派な教育政策を打ち立てても、現場力がなければ実を結ばないことはよくわかります。
地方の教育委員会や、大学法人や研究開発法人など、その現場で働く方々の声を大切にしなければならないことを改めて痛感したところです。

コロナ禍でのこの2年半余り、我が国は様々な反省と教訓を得ました。
ワクチン開発の研究が遅れていたこと、これだけの規模の感染症に対して医療体制の確保がなされていなかったという事実、市場からいっとき、マスクや消毒液すら消えてしまうという日常に直面しました。

こうした反省の上に立ってサプライチェーンの重要性をよく理解し、国内回帰によって最低、国内で調達できる体制づくりなど、私たちはいついかなる時も安定した社会を守り抜く為の努力を続ける必要があります。
常に起承転結を意識して事柄を検証し、施策に生かす行動が必要であると強く認識しました。

約一年、大変お世話になりました。
今後も一国会議員として、引き続きご指導賜りたくお願い申し上げます。

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