政見放送制度の抜本改革を

政見放送とは
 皆さんは、「政見放送」をご覧になったことはあるでしょうか。
 余り選挙に関心がない方でも、おそらくこれまで一度は政見放送を、ご覧になったことがあると思います。候補者が正面を向いて、自らの立候補の動機や政策を語るものがオーソドックスなもので、中には企業のPRビデオのように、BGMや字幕などの演出が加えられたものもあります。
 そもそもこの政見放送制度、1968年の公職選挙法改正で創設されました。以来、現在に至るまで、衆議院議員選挙・参議院議員選挙・都道府県知事選挙において政見放送が行なわれています。
 ただし、国政選挙の候補者が全て政見放送を行なえるわけではありません。また、全てがBGMなどの演出を加えた方式で放送できる訳でもありません。実は同じ国政選挙でも、衆議院と参議院とでは、細かく規定が分けられているのです。
 衆議院小選挙区選挙で政見放送を行うことができるのは、公職選挙法第150条によれば、候補者届出政党のみとされています。
 ここでいう「候補者届出政党」とは、(1)衆議院議員または参議院議員を5人以上有する、もしくは(2)直近の国政選挙での得票総数が有効投票の2%以上である政党その他の政治団体のことを指します。
 候補者届出政党以外の、いわゆる諸派の候補者や無所属の候補者は、小選挙区に立候補することはできますが、政見放送は行えません。代わりにプロフィールのみを簡単に紹介する経歴放送が流されます。
 衆議院小選挙区選挙では、政見放送を政党独自で制作し、自由にBGMや字幕などの演出を加えることが可能ですが、参議院選挙では、そのような独自の編集は認められていません。候補者が正面を向いて、自己の経歴や政策を語るという、オーソドックスな政見放送スタイルのみが許されています。
 その代わり、参議院選挙では政党に所属するしないを問わず、全ての候補者が政見放送を収録して流すことが可能です。候補者は指定された時間帯に、定められた放送会社のスタジオに赴き、リハーサルと本番の二回だけ収録のチャンスが与えられています。 
何故改善されないか
 同じ国政選挙でも、何故衆議院と参議院でこうも制度が違うのでしょうか。この点については国会でも何度か議論されたことがあり、問題点を感じている国会議員も多いようです。
 特に、インターネットなどの多様な広報手段一般的になった現代において、未だに無地の背景の前に不動の姿勢で座り、手話や字幕もないままただひたすら自己の経歴や政策を語るという参議院選挙の政見放送スタイルは、選挙の関心を高めるという観点からも、またバリアフリーの観点からも、時代錯誤的であり、改善すべき点が多いと思います。
 では何故参議院選挙でも、候補者もしくは政党が独自で政見放送動画を自由に制作する、いわゆる「持ちこみ方式」が解禁されないのでしょうか。
 一つは、衆議院小選挙区と違い、参議院選挙では全ての候補者が政見放送に参加できるため、持ちこみ方式を認めた場合、政見放送の品位を保持することが難しくなるとの意見があります。
 公職選挙法第150条では、放送事業者は政見放送を、「録音し若しくは録画した政見をそのまま放送しなければならない」こととされています。
 これは、政見放送が候補者の主義・主張を有権者に伝えるものであり、仮に一般的に不適切と思われる発言を行ったとしても放送事業者がこれを改ざんしたり、カットしたりして放送することは、憲法第14条が定める法の下の平等に反するとされるからです。そのため、ある程度誹謗・中傷と取られかねない発言でも、現状ではそのまま放送されているようです。
 しかし、1983年の参議院選挙において、諸派「雑民党」の候補者の政見放送内で、片方の目が不自由な方や、片足が無い方を差別した用語を用いた際には、NHKが当時の自治省に照会した上で、候補者に無断で該当箇所をカットしました。
 この「政見放送削除事件」は、候補者側が公職選挙法違反でNHKらを相手に提訴し、最高裁まで争われました。裁判では、削除について「差別用語を使用した点で、他人の名誉を傷つけ善良な風俗を害する」として正当性を認められましたが、放送事業者や総務省にとって、難しい課題であるとも言えます。
 ある候補者がヌーディストの抗議行動の様子を撮影して持ちこんだらどうなるでしょうか。近年では海外でそのような手法の抗議活動は珍しくなくなりましたが、未だ日本では定着したとは言い難いと思います。
 また、ある企業の経営者が候補者となり、自社のPRビデオを放映したらどうでしょうか。いわゆる売名行為ですが、民放のCM放映料より安価であれば、選択する企業も出るかもしれません。
 これらは直ちに公序良俗違反として規制できない事例です。しかし、政見放送の品位という観点から考えれば、悪影響を与えるおそれが高いと言えます。 
政党本位とは
 それでは衆議院小選挙区をならって、政党にだけ政見放送を認めることとしたらどうでしょうか。
 もともと衆議院選挙は一つの選挙区で選出される議員が複数人存在する「中選挙区制」でした。しかし、自民党が大きな勢力を有したいわゆる「55年体制下」では、一つの選挙区で自民党の候補同士が選挙を争うなど、同じ政策を掲げる政治家同士が、より多くの支持を得るため、政策以外の地元サービスなどで競い合っていました。
 これを改め、一つの選挙区では一人しか当選しない様に選挙区を細分化し、候補者同士が自らの所属する政党の政策を掲げ、有権者に各々の政党と政策の優劣を選んでもらう「政策本位」「政党本位」の選挙を目指したのが、1996年に導入された衆議院小選挙区制でした。
 以後、この政党本位の選挙から外れる諸派や無所属の候補者については、政見放送が行なえなかったり、配布可能ポスターの枚数が少なかったりするなど、様々なハンディが課されることとなりました。
 しかし参議院選挙は、主に都道府県単位で設定された選挙区において、定員が複数人の中選挙区がメインとなっており、東京などの都心部では一つの政党が複数の候補者を擁立することも珍しくないため、「政党本位」とは言い難いでしょう。。
 そうであれば、参議院選挙において諸派や無所属の候補者を政見放送から排除する論拠もないことになります。 
前向きな議論を
 よって、参議院選挙で持ちこみ方式の政見放送を実現するためには、(1)政見放送の品位を担保するために、政見放送を政党に限ることとするか、若しくは(2)全ての候補者に持ち込み方式を解禁する代わりに、放送内容についての規制を検討するか、のいずれかを選択しなければなりません。
 前者の場合、まずは参議院選挙と「政党本位」との関係を整理する必要がありますし、後者の場合は、放送事業者がどこまで放送内容を規制できるのか、予め憲法の許容する範囲も確認しながら、厳格なルールを定める必要があります。
 しかしいずれにせよ、これらは乗り越えられない壁ではないように思います。これまでも様々な問題が、選挙制度の歴史において生じてきましたが、民主主義の成熟に向けた一過程として、克服されてきました。
 「持ちこみ解禁は選挙の品位を乱す」という性悪説で一蹴するのではなく、有権者にとってより良い選挙となるための一つの重要な可能性として、前向きに勉強・検討して参りたいと思っております。

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