謙虚な国会運営を

 昨年の8月に国土交通副大臣を退任し、現在、私は参議院議院運営委員会の筆頭理事を務めております。国民の皆様の生活の安定と向上のため、充実した国会とするため、微力ではございますが持てる力のすべてを国会運営に傾注する覚悟です。
 国会運営を進めてゆく中で、当初、予想もできなかったような問題も、いくつか出てくるものです。そのため、先例を尊重しながらも、新たなルール作りのための努力が求められます。
 安倍一強と言われる国会状況ですが、国民の皆様の思いを大切にしなければなりません。自民党は、昨年秋の総選挙で大きな勝利を収めさせて頂きました。しかしその勝因は、現行の選挙制度によるものも大きいと言えます。
 自民党の得票率は47.8%でしたが、実に獲得議席数は74.4%を占めるにいたりました。改めてこの小選挙区制度の恩恵により、支えられている体制であることを常に念頭において、謙虚な国会運営を心掛けなければなりません。
青春とは“心の若さ”
 さて、大晦日には久しぶりに紅白歌合戦を観ました。歌合戦という空気は、あまり感じられなくなっていましたが、華やかに一年のすべてを締めくくる、歌番組の集大成だと感心しました。
 私は、サザンオールスターズの桑田佳祐さんが、NHK朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の主題歌、「若い広場」を、肩を組んで大勢の仲間と歌われる姿には、共感を覚えました。実は、桑田佳祐さんは同年代、正確には同学年ということになります。
 歌って踊っての、紅白出場30回の郷ひろみさんも、同年の生まれです。しかし、還暦を越えられても、体力は35歳と聞きました。健康に留意されているはずです。
 私は、あのお二人が老若男女を問わず、大勢の人々を魅了している姿を見ると、心から嬉しくなります。青春とは、"心の若さと言われますが、何歳になっても、心がけによって、心も身体も若いままでいられることを、身を持って表現されています。私も、自分流ではありますが、しっかりと元気に歩みたいと願っております。
東京オリンピックの思い出
 さて、私は還暦を越えましたが、ワクワクすることがあります。それは、2020年、元気であれば、東京オリンピックを観戦できることです。昭和39年、(1964年)、10月10日から開かれた東京オリンピックは、生涯忘れられない思い出です。すでに54年前の出来事となりました。
 昭和39年9月24日、明石の国道2号線沿道の当時映画館が立ち並んでいたところで小学3年生の私は、みんなと一緒に五輪の小旗を振って、聖火ランナーを迎えたことを鮮明に覚えております。
 白い煙を出した聖火トーチを掲げながら、颯爽と聖火ランナーが走り抜けていったときの市民の大歓声が耳に残っています。
 私は、前日、五輪の配色を間違って、先生に注意されたことを懐かしく思い出します。とにかく、コピーもなければ、余分とか予備というものを考えない時代であったように思えます。
 昭和39年10月10日にオリンピックが始まりましたが、それからの2週間、先生が教壇に立っての授業はほとんど行われなかったはずです。それは、担任の横山先生が「日本で、オリンピックが開かれることは、二度とないかもしれない。だからこの2週間、テレビで観戦して、みんなで応援しよう。大人になった時、必ず大切な思い出になるだろう。」とおっしゃったからです。
 マラソンでは、エチオピアのアベベ選手の優勝や円谷幸吉選手の劇的な堂々3位、柔道無差別級に出場し、オランダのアントン・ヘーシンクに敗れた神永選手、日本女子バレーボールの優勝の瞬間など、いくつかの場面は、まだまだ頭の中に鮮烈に残ったままです。
 あれから54年、担任の横山先生は、二十数年前に亡くなられました。今は、先生に「オリンピックは、人生で2回見られそうです。」と伝えたい気持ちになります。
昭和を振り返って
 60年あまり生きてきました。学生時代、サラリーマン時代、県会議員時代、さまざまな変化を見てきました。しかし、どう考えても、昭和39年、あのころの日本は、「元気な時代」で、「活きがよかった」、「威勢がよかった」と思います。
 自分が幼かったから、社会が見えていなかったという人がおられるかもしれません。でも、私はそう思えてならないのです。家内も同じことを言います。
 あの時代には「素朴な笑い」と「ささやかな幸せ」がありました。多くの人が、前を向いて、しっかりと歩んでいる様子が見て取れました。
 当時を振り返ってみても、そうした空気や国民感情が国を支配していたと、つくづく感じます。テレビで馬鹿な番組もありましたが、今日ほど度を越した馬鹿な番組はなかったように思えます。
 私はこれからの日本が大切にするべきこと、これからの日本が進むべき道の理念となるヒントは、過去のその時代にもあるように思えてなりません。日本は地域の連帯感の強い国です。知らず知らずに絆によって結ばれている事実を大切にし、誇りとしながら、力に変えて行かなければなりません。
今後の日本の指針
 人口減少社会から逃げることはできません。ならば、どう一人あたりの生産性を高めていくのか、経済を成長させるのか、輸出のウエイトは、諸外国に比べると低く、まだまだ伸び代もあります。何を売り物にするのか、改めて考える時だと思います。
 むろん、観光産業、1次産業の6次産業化、健康寿命を延ばすための産業育成、福祉業界への投資・人材育成が経済にプラスになるような仕組みづくり、さらなる自然再生エネルギーへの取り組み、AI・ロボットを成長産業の種とすることなど、創意工夫を進めることが必要です。
 民間の力がものを言う時代です。共に、この厳しい時代をしっかり歩んでまいりたいと願っております。
 これからも、更に高い緊張感を持って、職務に取り組んで参ります。末永くご指導の程、よろしくお願い申し上げます。
参議院議院運営委員会筆頭理事 末松 信介

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