2014.10.07 提言 集団的自衛権発動には国会の事前承認を 武力攻撃事態対処の枠組み変更 本年7月1日、安倍政権は集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更を閣議決定しました。これまで自衛隊は日本への直接的な攻撃に対してのみ、最小限の武力行使しか認められてきませんでしたが、この枠組みが変更されることになります。 これまで自民党の歴代政権は集団的自衛権について、国連憲章で権利を認められてはいるものの、憲法が制約する必要最小限の武力行使に含まれないとの立場を取ってきました。 しかし、中国の軍備増強や北朝鮮情勢の不安定化など、緊迫化する国際情勢の中、国民と国家の安全を保障するため必要最小限の範囲に集団的自衛権が含まれるよう憲法解釈を変更することは、やむをえない決断だと思います。PKO参加から20年を超した今、世界の情勢を鑑みても、気は十分熟したと考えるべきであり、私も今般安倍政権が示した覚悟と決断を支持したいと思います。 総理が閣議後会見で、「憲法が許すのはあくまで自衛の措置で、外国の防衛自体を目的とする武力行使は今後とも行わない」と表明したとおり、外国の戦争に参加するような内容には、今回の閣議決定はなっていません。この主旨が今後も不変であり続けるよう、我々政治家はしっかりと監視をし続けなければなりません。 国会による監視と歯止め 集団的自衛権を行使するに当たっては、日本の武力行使が違法でないこと、無用の戦争に巻き込まれるおそれがないこと、および主権者である国民がしっかりとその意思決定に関与し、納得できることを、法制化された手続きで担保する必要があります。 そもそも、わが国憲法には宣戦についての規定がありません。不戦憲法ですので当然のことです。しかし、もし集団的自衛権の行使としての武力行使が認められるならば、わが国そのものに対してではなく、他国への攻撃に対する自衛隊の出動ですので、この場合の宣戦布告、言うなれば究極の国家的決定権、国権の発動はどの機関が有するのか、という点が問題になります。 日本国憲法の第41条は「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」と定めています。国会は国民から直接選挙で選ばれた議員で構成するという点で、国民の直接代表機関とも言える機関です。国会こそが国民主権の統治構造への直接的反映であるがために、このような最高機関性が認められています。 憲法学者の佐藤幸治氏は、憲法41条の最高機関条項について、「憲法上どの機関に属するか明記されてはいないが、国家にとって避けて通れない重要な決定事項については、国会に属すると推定すべき根拠となる」としています。自衛隊の武力行使にような国民の生命と財産の安全に直結する問題は、まさにこの「重要な決定事項」に当てはまると言えるでしょう。 更に言えば、憲法原理の重要なものの一つに文民統制があります。立憲政治において、自衛のための機関であろうとなかろうと、軍の組織や活動が国民の政治的意思に服し、議会制民主主義に支配されていることが、立憲政治が成り立つための絶対条件です。 個別的自衛権と集団的自衛権 閣議決定では、「憲法上『武力の行使』が許容されるとしても、それが国民の命と平和な暮らしを守るためのものである以上、民主的統制の確保が求められることは当然」「自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続きと同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記する」と記載されました。特に緊急の必要があり、事前に国会の承認を得るいとまがない等の場合、国会の承認を事後とする方向で現在調整が進んでいるとされています。 事前を原則とするが、政府が判断すれば事後でもかまわないというのは、現行の個別的自衛権と同じ仕組みです。これまで、わが国は個別的自衛権しか認められていませんでしたが、わが国自身が武力攻撃を受けた場合、選択としてはそのまま黙って攻撃され続けるか、反撃するかの二つに一つしかありませんでした。 個別的自衛権の行使の国会承認が事後でもかまわないとなっているのは、わが国が直接攻撃を受けたにもかかわらず国会承認が得られないことを理由に反撃できなければ、国家と国民が多大な被害を被るのを止めることができなくなってしまうからです。 しかし、集団的自衛権の場合は、他国への攻撃に対するわが国の選択です。攻撃を受けた国の外交努力や戦闘が始まった経緯、作戦が事態をむやみに拡大させないように配慮されているかどうかなど、自国でも難しい判断を、他国の行為について下さなければなりません。他国の行為が違法であった場合、日本の行為も違法性を帯びることになるのですから、「同盟国がやられたから一緒にやり返せばいい」といった単純な論理では済まされません。 こうした観点からも、事後承認も容認している個別的自衛権、すなわち現行の武力事態対処法等の規定とは一線を画すると言えます。自衛隊を動かす手続きにはよりワンランク高い厳格さが必要とされるはずです。 事前の国会承認の義務化を 事後であっても、国会は不承認の決定を下し、自衛隊を撤収させることもできますが、戦線が拡大し、同盟国と一緒に戦闘行為を行っている段階で、日本単独で自衛隊を撤退させるのは事実上困難になります。 集団的自衛権のための武力行使は、単に自衛隊の出動指揮命令にとどまりません。対外的には戦闘状態に入ることを世界に示す行為であり、国内的には安全保障を全てに優先させる緊急事態体制に突入することです。まさに究極の国権発動です。 この行為に対し、国会が正統性を付与しない限り、政府単独で始められる訳がありません。自衛隊出動に関する国会承認は、「国権の最高機関性」を定めた憲法42条の要請とも言えます。 以上のとおり、文民統制の観点からも、安全保障における民主的正統性の観点からも、集団的自衛権の行使に関わる自衛隊の活動に対しては、事前の国会承認を義務付けるべきと考えます。国会がただの「追認機関」になり下がることは、政府の安全保障政策そのものの民主的正統性をも危うくし、そして何より戦地に赴く自衛隊員の命に、議会民主制が関与しないという結果をもたらすことになります。 自衛隊法の第52条では、自衛隊員の服務として「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に努め、もつて国民の負託にこたえること」とされており、続く第53条で、隊員はその服務の宣誓をしなければならない旨が定められています。 自衛隊員は危険を顧みず、命を捨てる覚悟を予め宣誓して職務に臨んでいます。その彼らの命を守り、責任を持つのは、我々政治家の重要な使命です。このことを安易に考えるべきではありません。 今後具体的な法整備の議論に入りますが、我々政治家に負託された重い責務を日々噛みしめながら、党や国会において、誤らない議論を進めて参りたいと思います。 第187回国会開会、沖北特委筆頭理事 就任ご挨拶 前の記事 少子化対策(1)「まずは男性の意識改革から」 次の記事