透明度の環境基準設定について

新たな環境基準項目
 現在環境省中央環境審議会の水環境部会では、水質汚濁に係る環境基準の改正に向けての審議がなされています。その中で、新たな環境基準項目として「透明度」などが加えられる方向で議論が進められています。
 透明度とはまさに読んで字の如く、水の清濁を表現するために海や湖沼などに対して使われる指標で、高ければ高いほど水が澄んでいることを示すものです。測定の仕方は、直径30cmの白色円板を水中に沈め、肉眼で水面から識別できる限界の深さを測るというもので、単位はメートルが使われます。
 ややもすれば私達は直感的に、水が透き通って透明であればあるほど、環境に良く、水生生物の生息環境にも適しているのではないか、という印象を持ちます。しかし、故事にも「水澄んで魚棲まず」とある通り、見た目の美しさと生物にとって豊かで棲みやすい海とは別物なのです。
 透明度が高いということは、そこに生息する動物性・植物性プランクトンが少ないことをも意味しています。プールの水を想像していただければ分かりやすいかもしれません。プールは底まで透き通って見えますが、それはプールの水が浄化・消毒されているからで、逆を言えばプールに水生生物はほとんど棲んでいません。これは餌となる植物プランクトンが育たないため、魚などの生物が生息することができないためです。
 そもそも環境基準とは一体何のためにあるのでしょうか。日本中の海をプールのような、水生生物の全くいない透き通った水にすることが最終目標なのでしょうか。そうではないはずです。私達が本来目指すべきは、多様な生物がイキイキと生息することができ、海藻や魚介類が食物連鎖の中で大きく育つ、美しく、かつ豊かな生物を育む海です。 
瀬戸内海再生の歴史
 例えば私のふるさとの瀬戸内海は、戦後の高度成長期、極端に水質が悪化し、一時はあまりの汚染の酷さから「瀕死の海」と称される時代もありました。瀬戸内海のような閉鎖性海域では、水の交換が行われにくく汚染が留まりやすいため、栄養塩の滞留による過度な「富栄養化」現象、いわゆる赤潮が頻発したのです。
 赤潮の発生メカニズムは、湖沼に流れ込む生活排水や工場排水などにより、水中の窒素、リンなどの栄養塩の濃度が上昇(富栄養化)し、それを栄養とする植物性・動物性プランクトンが異常増殖することで発生するとされています。プランクトンは普段目に見えないほど小さいものですが、あまりにも異常発生することで海が赤く染まった様に見えるため、こう呼ばれています。しかし窒素、リン濃度等の水質環境と赤潮の発生メカニズムの相関関係については、未だ解明されていない部分も多くあります。
 赤潮がおこると、プランクトンが魚のえらに触れ、えらに障害をおこして呼吸できなくなったり、プランクトンが大量に酸素を消費するため海水の酸素が欠乏したりして、魚を大量死に至らしめます。富栄養化そのものについては養殖業者と漁船漁業者とでは若干スタンスが異なりますが、赤潮の抑制・防止については、両者にとって一致した目標となっています。
 わが国で赤潮が発生する海域の代表例が瀬戸内海です。そこで瀬戸内海では1973年に瀬戸内海環境保全臨時措置法(瀬戸内法)を制定して以来40年間、水質改善のための必死の努力を重ねてきました。
 1978年に化学的酸素要求量(COD)総量削減制度の導入、1993年に窒素、リンの排水基準設定、2001年に窒素、リンの総量削減制度の導入。そうした種々の規制を通じて、現在では瀬戸内海は窒素、リンの環境基準の達成率は実に98.3%(平成24年度)にまで到達し、水質は大幅に改善しました。
 しかし今度は逆に、窒素・リンの減少により、一部海域で「貧栄養化」が進行しました。瀬戸内海の漁獲量は1985年をピークに減少を続け、2010年にはピーク時の漁獲量48万5千トンから、なんと64%減の17万6千トンにまで減少しました。ピーク時に4万5千トンを超えていたアサリの漁獲量も、2010年にはなんと236トンまでに減少。これは実に99.5%のアサリが消失してしまったということです。
 瀬戸内海は「きれいな海」にはなったものの、必ずしも「豊かな海」にはなっていない、という現実を突きつけられることになったのです。それどころか、赤潮については依然相変わらず一部の海域で発生し続けています。今まで夏に発生していた赤潮とは異なり、春には貝毒の原因となる植物プランクトンが、冬には養殖ノリの色落ちを引き起こす植物プランクトンが異常発生し、赤潮をもたらすようになりました。
里海の創生と瀬戸内法改正
 それでは私たちはどうすればいいのでしょうか。美しく豊かな海を育むためには、従来の水質管理だけでは限界があります。水質管理中心主義から、生態系管理へと大きくシフトチェンジする必要があります。その思想軸の一つが「里海」と呼ばれる考え方です。
 政府が2007年6月に閣議決定した21世紀環境立国戦略には、「里海」の創生支援が盛り込まれ、そこでは「藻場、干潟、サンゴ礁等の保全・再生・創出、閉鎖性海域等の水質汚濁対策、持続的な資源管理などの統合的な取組を推進することにより、多様な魚介類等が生息し、人々がその恵沢を将来にわたり享受できる自然の恵み豊かな豊饒の「里海」の創生を図る」とされています。
 しかしながら、現行の瀬戸内法は、水質の改善のための規制の措置を中心とするもので、生態系管理の視点はあまり盛り込まれていません。単に水質を改善するだけではなく、瀬戸内海を、生物多様性・生産性が確保された豊かな海とするという理念を、瀬戸内法に盛り込む必要があります。
 そこで私が事務局長を務める瀬戸内海再生議員連盟でも、瀬戸内海再生のための瀬戸内法改正の議員立法を策定しました。
 瀬戸内海を国民にとって貴重な漁業資源の宝庫として、多様な海藻や魚介類が食物連鎖の中で大きく育ち、魚が産卵し稚魚が育つ藻場・干潟・砂浜・浅場を整備するなどの施策を進めることで、多様な生物がイキイキと生きるために必要な多面的機能を最大限発揮する豊かな海に再生させることが、議員立法の狙いです。
 具体的には、法案では、政府が定める瀬戸内海環境保全基本計画の記載事項に、新たに沿岸域環境の保全・再生・創出や、水産資源の持続的な利用の確保といった文言を追加するよう求めるとともに、窒素及びリンの増加及び減少と漁獲量の因果関係についても、科学的知見を確立するための情報が未だ不十分であるため、瀬戸内海における栄養塩類の適切な管理に関する調査研究及び検討を行うことを、政府に義務付けています。
透明度と赤潮の相関関係
 瀬戸内海の40年間にわたる、血のにじむような再生への努力、歴史を振り返り、今このタイミングで環境基準に新たに透明度を加えることが、豊かで美しい海への再生、そして赤潮の撲滅にどれだけの効果があるでしょうか。
 そもそも透明度の向上は、赤潮対策に効果がないばかりか、悪影響を及ぼすとの調査結果も存在します。
 2010年に佐賀大学が実施した有明海総合研究プロジェクトにおいては、有明海で透明度の上昇率が高かった佐賀県沖や熊本市沖において、赤潮の発生件数が増加していることが明らかになっています。同研究プロジェクトは、「透明度の上昇は赤潮の発生の増加の要因の一つ」という仮説を提言しています。
 調査研究によれば、海中の透明度上昇によってプランクトンの光合成が活性化され、底泥の中の休眠中だった珪藻類等のプランクトンを刺激し、発芽をさせ繁茂させると同時に、二枚貝の減少を誘発し、赤潮を引き起こすとされたのです。
 同様の指摘は、NPO有明海再生機構によってもなされているところですし、徳島県水産研究所も、徳島県沿岸の海洋観測調査等の結果、透明度の上昇が「海の回復力」、しいては総漁獲量の減少をもたらしている可能性について指摘しています。
 兵庫県立農林水産技術総合センターの調査でも、瀬戸内海の透明度が上昇する一方で貧栄養化が東部海域も含めて全域で進行し、漁業生産で代表される海の豊かさが失われつつあることが、鋭く指摘されています。
 こうした調査からも分かることは、透明度といった指標は水質の汚濁に関わる指標に過ぎず、これらの目標が達成されても、それが良好な海域環境の保全や回復につながる保証はないということです。
 透明度と生物生産性、多様性との因果関係を図る定量的なデータは未だ多くありません。そのような段階で、単なる指標ではなく、政策としての環境基準に加えることは、取り返しのつかない結果をもたらします。
 何故ならば、環境基準は国全体の行政施策の目標となるからです。透明度を環境基準に加えた場合、その基準値達成のため、水質汚濁防止法や下水道法といった関係法令による負荷削減のための規制が強化されます。
 例えば下水道法の第2条の2では、都道府県が水質環境基準を達成するための総合計画を策定する義務を定めています。環境基準に透明度等が加われば、都道府県は法律の定めにより、これに対応した下水道規制の強化を行わなければならなくなります。環境基準が増せば、それは自動的に規制強化につながらざるをえないのです。
より的確な基準と指標の検討を
 一定の透明度を保つことは確かに重要ですが、そのための手法が明確にされてない段階で性急に環境基準に追加しても、豊かな海にはならないのではないかと思います。
 そもそも窒素についても、様々な見方があります。湖沼に溶存する窒素は、大きく「無機態窒素」と「有機態窒素」の二つに分けることができます。この両者を足したものが「全窒素」と呼ばれるもので、現在環境基準で用いられているのはこの全要素です。
 しかし瀬戸内海の場合、近年全窒素は横ばいで推移していますが、海藻等の栄養となる無機態窒素は確実に減少してきています。逆に各事業場で処理除去しづらい有機体窒素は減少しておらず、水生生物の栄養にもなりづらいため分解されず、蓄積されたまま全窒素としての総量を膨らませています。結果、海藻等の栄養となる無機態窒素のみが減少し、海はどんどん貧栄養化する一方で、水質は少しも良くなっていないという悪循環が近年起こっています。
 かつて瀕死の海と言われていた瀬戸内海を、現在の水質にまで改善することができたのは、一重に環境庁時代からの政府の粘り強い指導と規制、そしてそれに協力してきた現場の関係者全員の努力の賜物と言えます。しかし、総量規制のみに頼る時代から、そろそろ転換すべき時が来ているように思われます。
 重要なことは、これまでの一律の総量削減規制を転換し、海域ごとでの栄養塩の適正管理を実現するとともに、赤潮の発生メカニズムの未解明部分の解明や、こうした有機汚濁指標についての検討を深め、幅広い視点から海域環境の状況をより的確に表しうる指標と評価方法を検討することではないかと思います。
 いずれにせよ、仮に環境基準に透明度を加えるとしても、当面の間は指標としての運用にとどめると同時に、その目標達成手法についても漁業者等関係者の意見を十分に汲みながら、安易な総量削減の強化に突き進むのではなく、深掘り跡の埋め戻しや環境配慮型護岸の整備など、自然の浄化能力を活用した対策等を優先することが重要でしょう。
 瀬戸内法成立40周年の節目、何としても後代に豊かな瀬戸内海を残したいとの、地元知事会や漁業関係者の切実な願いを受け、議員立法を国会に提出いたしました。
 瀬戸内再生議連の事務局長として、引き続き瀬戸内法の再生に微力を尽くして参ると同時に、豊かで美しい海を再生するための環境基準の在り方等について、国会等の場でも議論を深めて参りたいと思います。

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